“Keep The Faith” (1992)
ボン・ジョヴィがデビューしたのが1984年で、日本ではデビュー時から人気があったこともあり、私も早くから彼らのことを知っていましたが、本格的に聴くようになったのは、やはり大ブレイクした”Slippery When Wet”からになります。以前に書いたSONY MUSIC TVでRunawayのビデオがよく流れていたのと、当時毎月買っていたMusic Lifeでもボン・ジョヴィはよく掲載されていたので、彼らの情報はがんばって探しにいかなくてもわりと身近にありました。また、来日回数が多いこともありますが、私がいちばんコンサートに足を運んだ回数の多いアーティストでもあります。私がいくらビートルズやウィングスを好きだといっても、その活動期間をリアルタイムで経験していないので、真の凄さを知っているとは言えないと思うのです。しかしボン・ジョヴィは高校生の時から今まで、一緒に成長してきた、まさに私たちの世代のバンドです。
昨年11月に久々に来日コンサートがあり、私も京セラドームに見に行きました。実は、チケットを買ったのはコンサート当日の朝です。リッチー・サンボラ Richie Samboraのいないボン・ジョヴィを見ることに葛藤があり、結局当日の朝、見に行こうと決断しました。見終わった感想は、行ってよかったという気持ち90%となんか違うという気持ちが10%です。同じ理由で、2013年のツアーはアメリカでも日本でも見ていなくて、昨年のコンサートは2010年にアナハイムで見て以来のライブでした。今、手元に1984年以降の彼らの来日コンサートのリストがあるのですが、1987年、1989年はおそらく同時期に別のアーティストの来日コンサートがあり、行けなかったのだろうと推測。1989年は大阪城ホールで3日も公演していますね!1991年は留学中で日本にいなかったので、結局私がついにボン・ジョヴィを生で見たのは1993年のKeep The Faithツアーでした。やはりボン・ジョヴィのコンサートでいちばん印象に残っているのは、1995年阪神淡路大震災の後、5月に西宮スタジアムでチャリティコンサートを行ってくれたことです。また1回かぎりでなく、ちょうど1年後の同じ日にも西宮スタジアムでコンサートがあり、ボン・ジョヴィの日本に対する思いに感謝でいっぱいになりました。この2回目の西宮では、終業後にコンサートに向かったため、阪急西宮北口駅を出たとたん、コンサートがすでに始まって音が外に聞こえていたので、焦って走って行った記憶があります。その後2000年からは会場が大阪ドームになり、2000年、2001年、2003年に見ています。大阪で2回公演があるときは両日とも行きました。ボン・ジョヴィは毎日セットリストが変わるので、そのあたりもすごいバンドだなといつも思います。その後、2008年と2010年にアナハイムのHonda Centerで見る機会があり、特に2008年のオープニング・アクトはドートリー Daughtryでした。
ボン・ジョヴィは本当にいい曲がたくさんあって、もちろん自分自身が好きな曲や思い入れのある曲も当然ながら多いです。私が初めて行ったボン・ジョヴィのコンサートの1993年当時、”Keep The Faith”が最新アルバムで、このアルバムも”New Jersey”に負けないくらいいいアルバムでした。その中でも当時から私は、In These Armsが大好きだったのですが、昨年の京セラドームのアンコール1曲目でやってくれたので感激しました!複雑な気持ちの中、まさかこの曲をやってくれるとは期待していなかったので、感動もひとしおです。しかも途中ジョンにそそのかされて、デヴィッド・ブライアンが一部リードを歌うというハプニングもありました。その前日の東京ドームではこの曲は演奏していなくて、代わりにI’ll Be There For Youを演奏しているのですが、そちらもまた大好きな曲なので残念!両方一度にプレイしてもらうのは贅沢なのですね。I’ll Be There For Youは曲はもちろんのこと歌詞も好きなので、またいつか生で聞きたいです。ボン・ジョヴィの曲は歌詞もきちんと理解したくて、よく意味を考えたりするので、曲と歌詞両方好きなパターンも多いです。歌詞は主にジョンが書いていると思うのですが、はっきりとわかりません。
コンサートでのアンコールの一番最後はLivin’ On A Prayerで、言うまでもなく大いに盛り上がったのですが、その1曲前が、私がいちばん懸念していたWanted Dead or Aliveでした。もちろん大好きな曲で、この曲はジョンとリッチー以外では成り立たないと信じている私は、やっぱり今回のライブでこの曲だけは好きになれませんでした。リッチーはもういないのだし、もう少し寛大になるべきでは、と自分でも思うのですが、過去に何度もこの曲でジョンとリッチーの素晴らしい掛け合いを見てしまっているので、新しい人を受け入れるのは難しかったです。でも、なんだかんだ言っても、結果的に気持ちの90%はポジティブだったし、コンサートでは昔のように歌いまくって、翌日は喉が痛かったです。
昨年、ボン・ジョヴィはロックンロール・ホール・オブ・フェイムの殿堂入りしましたが、受賞式にはリッチーも登場して、各人のスピーチがとても楽しかったです。ジョンはすっかりグレイ・ヘアになってしまいましたが、それでもやっぱり素敵です。彼はアメリカではhumble(=謙虚な)で地に足の着いたセレブとして扱われていたように思います。すごいロックスターなのに、家族思いでクレイジーなことはしない。ニュージャージー州の知事選で、ジョンが誰を支持しているのか、っていうのもニュースになっていました。
ジョンはグレイ・ヘアだけでなく、すでに高音を出すのも難しい状況ですが、ポール・マッカートニーやリンゴ・スターのように70代になっても日本でコンサートをしてくれるでしょうか?ボン・ジョヴィのコンサートは、観客と一体になって歌う曲が多いので、その時私や私世代の人たちは、きちんと歌えて腕も上げることができるか?などと余計な想像もしてしまいます。今回、ボン・ジョヴィのことを書くにあたって、自分がどれだけ彼らのことを好きかということに再度気づき、またリアルタイムで彼らと体験したことをいろいろと思い出しました。そういえば、“New Jersey”が出た頃、SANYOのステレオコンポのテレビCMにも出ていましたね!Bad Medicineを歌ってたかな?昨年は盆踊りにボン・ジョヴィでも話題になりました。これからもボン・ジョヴィのことはちょくちょく書きたいと思っています。
5/22追記 このブログをアップした後、ボン・ジョヴィのメルマガが届いていて、なんとボン・ジョヴィの思い出をSNSにハッシュタグをつけて投稿してくださいとのことでした。すごくタイムリーで、びっくりしました。
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