“Mi Tierra” (1993)
Mi Tierra = My Homeland
今日はサルサではない、ラテン・ミュージックです。
グロリア・エステファンは大学生になってからよく聴くようになりました。Rhythm Is Gonna Get YouやCan’t Stay Away From YouはアメリカンTOP40でリアルタイムで聞いた覚えがあります。ラテンなアップビートの曲も、女性目線のラブソングも両方好きでした。彼女が初めてヒットさせた英語の歌のCongaやWords Get In the Wayは少し後追いで聴きました。2005年からアメリカで生活を始めてしばらくして、私はサルサやラテン・ミュージックに目覚めるのですが、実はグロリアのおかげでその予兆はあったかもしれません。彼女はほとんどのヒット・ソングはスペイン語でも歌っていて、ボーナス・トラックとしてCDに入っていたり、またスペイン語バージョンを集めたベストアルバムも出していて、どれも気に入っていました。スペイン語はまったくわからなかったのですが、やはり彼女が作る曲というのは、スペイン語がしっくりくるというか、特にアップビートの曲ではそう感じます。グロリアのコンサートは2回行きました。両方とも大阪城ホールでしたが、彼女はエンジン全開になると巻き舌でスペイン語を連発して、ラテンなノリの大阪人とは波長が合うような気がしました。
大きなニュースになりましたが、グロリアは 1990年のツアー中、ペンシルヴァニア州で乗っていたバスが交通事故に遭い、重傷を負います。その後リハビリを続け1991年に”Into The Light”というアルバムで復活、Coming Out Of the Darkがヒットして、日本にもワールドツアーで来てくれました。その時にバックシンガーだったある人物を、グロリアが「彼はもうすぐソロアルバムを出します」と紹介してくれたのですが、なんとその人こそジョン・セカダ Jon Secadaで見事に彼の曲も大ヒットしました。私ももちろんすぐに購入しましたが、さすがエステファン・ファミリーのバックアップもあり素晴らしいアルバムでした。
その後、英語版のベスト・アルバムが出て、そろそろ彼女の新作が待ち遠しいなと思っていた1993年、彼女は全曲スペイン語のアルバム、”Mi Tierra”を発表します。今までのラテン風味のポップスではなく、本物のラテン・ミュージック、おそらく伝統的なキューバの音楽でした。なぜか私には懐かしく感じる曲が多くて、キューバに行きたいとさえ思うようになりました。もし英語のアルバムを出していたら、彼女の人気を考えれば間違いなく大ヒットしていたでしょう。でもこの時期に全曲スペイン語、しかも伝統的なキューバ音楽のアルバムを出すということは、彼女が心からやってみたかったことだったに違いありません。タイトルがMi Tierra(私の故国)ですし、CDのブックレットでも、彼女自らが歌詞のヒントとなるスペイン語の解説をしてくれていたり、歌詞もスペイン語とその英訳まで載っています。すごい力の入りようです。またその頃はまったく知識がなかったのですが、バックミュージシャンもラテン・ミュージック界の素晴らしい人たちが呼ばれて客演しています。
言うまでもなく、グロリアは1957年にキューバで生まれましたが、キューバ革命後彼女の家族はアメリカに亡命し、マイアミで育ちます。時々考えるのですが、例えば私が海外旅行に行っている間に日本でクーデターが起こって、自分の生まれた国に帰れなくなる、そんなことが起こったら悲しすぎます。もちろん今の日本でクーデターが起こるわけがないですが、そんなに遠くない昔にそういうことがキューバで起こったわけです。このMi Tierraという曲の歌詞は、決してノスタルジックに故郷を偲ぶ内容ではなく、なかなか複雑な心境を表現しています。
私にとってキューバはいつか行ってみたい国のひとつです。グロリアのCDを聴いて懐かしい感じがしたと書きましたが、なぜかキューバの写真を見た時や、テレビで風景を見たときにもすごく懐かしさを感じます。映画God Father Part IIにも革命前後のキューバが出てきますが、革命前のキューバはやはり華やかですね。キューバ料理も好きな料理のひとつで、LAに住んでいたころは圧倒的にメキシコ料理が多い中、あまり好きではなかったので、時々行くキューバ料理は美味しいと思いました。LAのダウンタウンより東のAlhambraにあるThe Granadaというクラブに、サルサの先生Marcoのバンドが出演するときは、いつもクラブの近くのキューバン・レストランで夕食を取ってからクラブに行くのが楽しみでした。私は常々、自分の前世でキューバか、プエルトリコか、あのあたりの人だった時期があるのではないかと思っています。前世の記憶が残っているので、何もかもが懐かしく感じられ、食事も口に合うのではないかと。ただひとつ残念なのは、ダンスが下手なことでしょうか💦
一度LAに住んでいる時に真剣にキューバに行こうと思って、フライトを調べたことがあります。日本人はビザ無しでキューバに行けるので、LAからだとメキシコのカンクンに飛び、そこでツーリストカードを取得してからハバナに飛ぶのが一般的のようです。他にも、カナダはずっとキューバと友好関係にあるので、トロントやケベックから(今も)ハバナにエア・カナダの直行便が飛んでいます。会社のsales repでNY生まれのキューバ系アメリカ人の男性がいたのですが、おそらく彼は両親がキューバから亡命してきた人たちなので、国交がない時代でも、比較的簡単にキューバに行くことができたようです。私のキューバ行きはまだ実現していませんが、必ず死ぬまでには行ってみたいと思っています。
キューバの音楽は、古くからアメリカやヨーロッパで人気があり、その国の音楽にも少なからず影響を与えていました。しかし、キューバ革命以降はがらりと状況が変わってしまいます。数少ないラテン・ミュージックの情報源のひとつであるeL Popというサイトがあるのですが、その中に岡本郁生さんが2007年に行ったエディ・パルミエリさんのインタビューが載っています。パルミエリさんがキューバ革命当時の音楽界の状況を語っている部分があり、やはり革命前はたくさんのキューバのミュージシャンがアメリカに来て演奏していたし、レコードもたくさん入って来ていたと。しかし革命以降、レコードはもちろんミュージシャンも来なくなってしまったため、パルミエリさんはそれまで持っていたキューバのレコードを聴いて真似しながら自分で曲を作り始めたそうです。しかもこれは、パルミエリさんだけでなく、当時の多くのミュージシャンが同じことをしていたとのこと。そして、その中から、NYではサルサなどが生まれていくわけです。ラテン・ミュージックといっても、ルーツを別にするいろいろなジャンルがあります。サルサのクラブに行くと、必ず1回はクンビアというコロンビアの音楽が演奏されます。ダンスもサルサとは違うので、私も最終的にはクンビアを覚えました。
グロリアは”Mi Tierra”のあと、自分が影響を受けた音楽(英語)のカバー・アルバムを出しますが、その後は音沙汰がないなあ、と思っていたらずっとスペイン語のアルバムを発表し続けています。アメリカのラティーノの方たちのみならず、中南米のスペイン語圏での彼女の人気はすごいです。彼女がMi Tierraを、オバマ大統領時代にホワイト・ハウスで歌っているビデオを見つけたので、最後に貼っておきます。途中から出てくる人たちが、全員アメリカのラティーノを代表する方たちばかりで驚きです。
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